「ふみ」さん
ところが良いことは長くは続かなかった。注意はしていたものの、七五三のお宮参りを終えてホッとしていたなか、弘大はちょうどその冬世間に蔓延していた麻疹(はしか)にかかり高熱を出した。
ふみは自分の方が丈夫だということで、できるだけハルを休ませてひたすら看病に当たった。その甲斐があってか、発熱して三日目にようやく弘大の熱が下がり始めた。この三日間ほとんど眠っていなかったふみも、もう大丈夫ということであとはハルに任せて休息のため自室に戻った。
その日の夕食時、ふみは起きてこなかった。家族はゆっくり寝かせてやろうということで起こしには行かなかった。ただ、翌朝も起きてこないのを不審に思ったハルがふみの部屋に入ると、ふみは高熱を出して床から動けない状態だった。ふみは幼い頃に麻疹に罹っておらず、免疫がなかったのだ。
健常な大人ならそれでも普通は罹患することはないのだが、そのときのふみは簡単に罹患するに十分なほど体力を消耗していた。大人が麻疹に罹ると重症になることはその頃もよく知られていたが、このときふみは急性肺炎を併発していた。
それから一日とひと晩高熱を出して、その次の朝には帰らぬ人となった。あっけない最後だった。ふみは最後まで弘大のことばかりを気に懸けていた。高熱が下がったあとの発疹が出る前に亡くなったから、ふみの顔はきれいなままだった。
弘大は、ふみから命を引き継いだかのように、それ以降いちども大病をすることもなく元気に成長を遂げ大人になった。そして、三十歳になる少し前に七つ年下の晴子(はるこ)と見合結婚をした。そうして産まれたのが俺の祖父である弘太郎(ひろたろう)だった。