そんなことを毎日思い悩んでいるうちに海智は体調を崩していった。毎日発熱が続き、おかげで学校には行かずに済むことになった。その代わり病院通いが始まった。彼の悩みは事件のことから次第に原因不明のこの病気の方へ移っていった。

そうやって梨杏のことを忘れていったと彼は思った。マスコミも母親が取材を拒否したことで興醒めしたのだろう、それ以降この事件の経過を新聞やTVで目にすることはめっきりなくなった。

海智も自分の中で梨杏はもうとっくに死んでしまったと勝手に片付けていたのだ。どうして自分で確かめなかったのか、それがとても恥ずかしい。おそらく彼はもうそれ以上彼女のことを考えたくなかったのだろう。

思い起こすと、一度だけ母に彼女のことを聞こうと思ったことがあった。だが恐ろしかった。その答えの内容を恐れたのではない。答えそのものを聞くのが恐ろしかった。そして忘れた。

ベッドの縁に座り込んで考えていたら、もう昼になっていた。全身に汗を掻いている。海智はネイビーのTシャツとジャージに着替えた。この病棟の奥の部屋に梨杏が眠っている。自分が死んだと思っていた八年間ずっとだ。

植物状態になる程の全身火傷だ。かつての可憐な姿ではないだろう。面会など勿論できるはずはないが、すぐ近くに彼女がいると思うだけで、胸が押し潰されそうになり、呼吸が狭くなる。

その時、ガラッと病室のドアが開いた。海智は思わず飛び上がりそうになった。見ると中央がピンク色でサイドが黒の制服を着てマスクをした女がトレイの上に載った食事を運んできた。「昼食です」と不愛想に言ってベッドテーブルの上に無造作にトレイを置いた。その時一瞬女と目が合い、海智ははっとした。

桃加だ。顔の下半分はマスクで隠れているが、あの濃いメイクやつけまつげは相変わらずだ。それに低い掠れたような声にも特徴がある。間違いない。海智は何か言おうとしたが、向こうは気付いていないのか、あるいは気付いていても無視したのか分からないが、何も言わずそそくさと部屋を出て行った。

何故桃加がこの病院で働いているのかと海智は動揺した。梨杏のことを知らないはずはない。その上で平気な顔をして働いているなんて、とんでもない冷血漢だ。母親の経子とも頻繁に顔を合わすはずだ。

自分のせいで八年間も意識が戻らない娘を看病し続ける母親と一体どんな顔をして会えるというのか。あの女の心情が全く理解できない。理解できないから尚更、かつての憎悪が彼の中に再び甦った。

【前回の記事を読む】顔面まで焼けただれ、身元不明。いじめ被害の女子高生は、なぜあの公園で灯油を被ったのだろうか。

次回更新は12月8日(日)、11時の予定です。

 

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