「何だ、そんな事か。お安い御用だ。で、どうする? 俺がお前さんのところへ出向くか?それともお前が俺を訪ねてくるか? 前橋へ?」と問われ

「まだ上から命令されたわけじゃなく、私見の段階なので俺が休日に出向くんで対応してもらえるかな」と須崎が言うと

「分かった。それなら二週間先の土曜日の一五時頃でどうだ? 用件が済んだら一緒に一杯やろうじゃないか」と言って里村は快諾してくれた。

一週間後、須崎は公務としてT自動車の人事担当課長豊田に通された応接室で待っていた。

「どうも、お待たせ致しました、人事担当の豊田正雄と申します」と言って名刺を差し出され、「F刑務所長をしております須崎守と申します。本日はお時間を割いて頂き恐縮です」と言って名刺を渡した。二人揃って着席すると豊田が

「何でも模範囚として出所された方を、期間工として採用できないか、とのお申し出かと伺いましたが、ご用件の向きはその事で宜しいでしょうか?」と丁重に言われ、

「はい、その通りです。たとえ真面目に刑期を務め上げた更生を誓う者であっても、世間の目は厳しくその目に耐えるのは大変で、特に職場がコミュニケーション能力を必要とする様な場合、陰口を聞かれる様な事に耐えかねる者が多くおります。

その点、こちらの様な組み立ての現場ならそういう者達にもマッチングする職場ではないかと思いまして、こうして情報を得たく訪ねて参りました」と訪問の趣旨を説明した。

「正直申し上げまして、組み立て作業のロボット化がかなり進んでおります。溶接ロボット、塗装ロボット、人の手で作業しなければならない所がどんどん減少しているのと、ガソリンエンジン車がEV車に置き換わると部品点数が大幅に削減してしまいます。

そういった状況を踏まえると期間工の採用は減少傾向にあるというのが偽らざるところですが、その辺の事情を御理解頂いた上なら私で答えられる範囲でお答えさせて頂きますが宜しいですか」と豊田が答えた。

「分かりました。それで結構です。あの、昔季節工といわれていた人達と期間工といわれる人達の違いから教えて頂けますか?」と須崎が訊ねると

「随分古い言葉を御存じですね。一九八〇年頃、主に雪国の農家の方々が出稼ぎに来られた頃の呼び名が『季節工』でそれが一九九〇年代頃になると日系ブラジル人等の海外からの出稼ぎ者に置き替わり、二〇〇〇年以降はアルバイト、契約社員といわれる様になりました。

正社員とは別に労働契約期間を六か月、一年、二年、三年と限った組み立て作業に関わる人材を『期間工』と呼んでいました。

現在は全て契約社員と呼んでいます。余談ですが季節工といわれたのは農閑期の冬場に主に働いてもらっていた為だと思われます」と須崎の質問に日本を代表するリーディングカンパニーらしく詳細にして上品に答えてくれた。

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