松尾芭蕉が子の治郎兵衛と共に、西国の弟子たちの元へと向かうため、この川崎宿に立ち寄ったのは一六九四年五月のことであったらしい。

江戸の芭蕉庵を出て品川宿を抜け多摩川六郷の渡しを渡った芭蕉は、ここまで見送りに来た江戸の門人、利牛、野坡らと、ここ川崎宿の榎だんごの店で別れを惜しんだ。これが大阪で病のため五十一歳で生涯を終えることになる彼の最後の旅となった。

年代的に、吉宗所縁(ゆかり)の川崎名物「御紋むすび」を芭蕉も目にしたとしても不自然ではない。旅の弁当とするために三角のにぎりめしを荷の中に忍ばせ、芭蕉が終焉の地に旅立っていったと想像してみるのもよいかも知れない。

芭蕉が門人と別れる際詠んだ句は、百三十年後、俳人一種が句碑として残した。神奈川県川崎市を走る京浜急行の八丁畷駅近くの商店街に今も残る碑の傍らには、句に因んで地元有志の手で小さな麦の畑が作られている。

麦の穂をたよりにつかむ別れかな 芭蕉

芭蕉句碑に思う

 

ひと月に一回、仲間とテクテク古街道歩きを続けているのだが、『潮音』のご縁で句碑探しという新たな楽しみが加わり感謝している。

道々、句碑に出会う度に松尾芭蕉の時代以降どれだけ多くの俳句愛好者がいたのか、そして日本中に今もそうした人々がいるのかを思い知らされる。