第2章 シーズンの記録から見た長嶋①
「あまたいる4番打者のなかの「真の4番打者」といえば、長嶋茂雄以外にいなかったといっていいだろう」
――『栄光の4番打者スラッガー伝説』 日刊スポーツ出版社より
劇的な開幕戦
長嶋入団時の1958年のオープン戦の成績は、全18試合で最多の7本塁打であった。それだけでも十分の注目度ではあるが、希代のスーパースターはそれだけに留まらない。
公式戦の第1戦の投手は、当時の国鉄(現ヤクルト)で既に日本一となっていた金田正一(当時182勝)であった。今とは違い、オープン戦は全球団が参加しているわけではない。長嶋にとって、これは正真正銘の初対決であった。
プロ公式戦最初の相手が日本一の投手。神が仕組んだのであろうかとまで思わせられる。
結果は金田が大スターであることを裏付けるように、中途半端な成績では許さず4打数4三振。長嶋は全19球中10回スイングしたが、バットにあたったのはファールチップ1本だけだった。この絶対的な敗北は、今なお語り継がれている(長嶋が一試合で4三振したのは、最初で最後、生涯この試合だけなのだ)。
金田は後に「この長嶋との対戦から、私のそれまでの足跡が消されてしまった」と言っている。これ以降、金田の話題は長嶋(後に王も加わる)との勝負に収束されていくのだが、長嶋の対金田戦は、二年目には0.333と打ち、通算7年間の成績は211打数66安打0.313で充分お返しをしている。
開幕戦におけるホームラン
開幕戦とは、一年に一度、ファンも選手も待ちに待ったシーズンの始まりの試合である。周囲の注目度も取り扱う新聞の熱意もシーズン中とは違う。そんな大切な試合で、ホームランを10試合も打っている(日本記録)のが長嶋だ。通算で17年間プレーしている長嶋は、17試合の開幕戦しか出ていないことになる。そのうち10試合で本塁打を放っているのだから驚きだ。1970年~1974年は、5年連続で放っており、こちらも日本記録である。
では他の強打者と比べてみよう。
実働年数と比較してみても、長嶋の密度の高さが際立っている。
ちなみに王は、6試合ではあるが内2試合は満塁ホームランである(1977年、1978年連続)。王もまた、他の打者とは違うのである。
また、ここに意外な記録がある。本塁打王を1回獲得し、通算415本(実働年22年)の中村紀洋(最終DeNA)、本塁打王2回獲得、通算486本(実働年19年)の大杉勝男(東映、最終ヤクルト)の両者の開幕戦本塁打は、なんと“0本”である。