右側は広い土間のままにしてあり、壁には昔の農作業に使った鍬(くわ)、鋤(すき)、鎌(かま)などの道具が掛けられていて、いかにも農家であることを演出している。改装当時、何らかの理由で来客に華美な部分を見せない工夫が必要だったのかもしれない。

正面の御影石で作られた大きな靴脱ぎ石の上は、時代劇に出てきそうな囲炉裏がある板の間になっている。屋根裏を渡る太い梁から自在鍵が吊るされていて、年代物の鉄瓶がかかっている。

この玄関部分は天井板がなく、入母屋の屋根裏までが吹き抜けとなっているのだ。天窓から差し込む明かりが土間全体を優しく照らしていて、ここで爺ちゃんが藁でも叩いて草鞋を編むなどしていたら、そのまま時代劇の撮影に使えるのではないだろうかと思うほどだ。

見かけ上は、昔ながらの一般的な農家のつくりと同じなのだが、この玄関の板の間の奥にある引き戸の向こうは別世界になっている。檜の厚板で作られた長い廊下が続いているのだ。

奥に向かって廊下の左側は表庭になっていて、廊下を膨らませて応接セットが置かれている場所が二カ所もある。そこに座ると表庭の豊かな緑が目を楽しませてくれる。

時が過ぎるのも忘れるくらいだ。秋になるとその緑が燃えるような紅葉に変わって、絶景が見られるはずなのだが、ゴールデンウィークか、お盆の時期にしか来たことがないから、俺は見たことがない。

右側には贅を尽くした大小の部屋が並んでいる。そのうちのひとつがいわゆるリビングダイニングキッチンで、その隣が老夫婦の寝所となっている。

元々は、主人夫婦や住み込みの家人には奥の裏庭に面した部屋が充てがわれていたのだが、昭和の時代になってこの家に住む人数も減り、家族とお手伝いさんだけになった。

そして今は老夫婦二人だけとなったので、玄関に近い客間であった部屋を改装して、二人はほとんどこの二部屋だけで過ごしている。

その奥にはご先祖を祀る大きな仏壇部屋があり、物置になっている部屋が二つ。更に進むと廊下はT字型の突き当たりになるのだが、そこを右側に行くと八畳と十畳の小さな部屋が左右に四つあり、これらが現在は客間として使われている。

その一番奥が裏庭に面した風呂場、便所となっている。突き当たりを左側に曲がって、またその先の突き当たりを右に進むと、四十畳ほどの広間が二つ並んでいて、それを右に見る外廊下となっている。

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次回更新は10月25日(金)、22時の予定です。

 

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