鬼の角

今夜は俺の婚礼。だが、今朝まで俺は、まさかこんなことになるとは想像すらしていなかったし、未だに俺の妻になる相手が誰なのかさえ知らないのだ。こんな風にして自分の生涯の伴侶が決まるということに、全く実感が沸かない。

ここまでは、爺ちゃんから事前に聞かされていた話とほぼ符合する内容が繰り広げられている。だが、ここから先については成り行き任せということで、爺ちゃんの話にはなかった。

俺はすごく不安なのだが、その一方でどんな花嫁が来るのだろうかと期待している自分もいた。

父方の両親、つまり俺の祖父母が暮らすこの坂枝(さかえだ)村に来るのは、四年ぶり。前回来たのは、俺が都立高校に合格した年だった。

俺は今年、一浪の末に都内の公立大学にめでたく入学でき、四つ年下の妹も私立大学の付属女子高校に入学できた。だから、今回も祖父がお祝いをしてやるというので仕方なくゴールデンウィークに帰省することになったのだ。

都内の自宅から地下鉄、新幹線、JR在来線、路線バスを乗り継いで、六時間もかかる東北の山奥の村だから、「いつ帰ってくるんだ」と祖父から催促の電話があっても、父はそう簡単に帰るとは言わない。

正月は雪が深いので、帰省できても戻って来られなくなる可能性が高い。だから、無理して帰省するのもゴールデンウィークかお盆の時期に限られる。

それでも、父はなんやかんやと言いわけをして、これまで三、四年に一度くらいのペースでしか帰省していない。もちろん祖父には親不孝者といわれているのだが……。

本当は年老いてきた両親のことを考えると、父は毎年でも帰ってやりたいと思っているはずだ。実は、母が一緒に帰りたくないというのがいちばん大きな障害になっているのだ。

田舎のしきたりというか、いろいろな慣習に母は馴染めないのだ。母の父親は、中堅製薬会社の役員まで務めた人で、先祖代々の江戸っ子であり、母は便利な大都会の中で何不自由なく育った。

そして、お嬢様短大で青春を謳歌していたときに、国立大学の経済学部四年生だった父と恋に落ちた。ふたりはテニスのオープンサークルで知り合ったという。

恋は盲目というのか、そのときは互いの家格など全く気にすることもなく、愛さえあればどんなことでも乗り越えられると固く信じていた。そして、ふたりが大学と短大を同時に卒業し、そのままの勢いで結婚した。

その頃の自分の判断力のなさを、母は未だに悔やんでいる。

汲み取り式の悪臭漂う便所、薪を燃やして沸かす風呂、襖一枚を隔てて隣の部屋の声が聞こえる寝室、夜明け前から始まる義母の台所仕事、近くに温泉とか観光地があるわけでもなく、母にとって、何ひとつとしてここに宿泊しようという気にさせる物がない。