第二章 イヨロンド
可哀想なエリザベトが泣いて父や大人たちに訴えても、大人たちの前では徹頭徹尾振る舞いの良いイヨロンドには太刀打ちできず、わがままと聞き分けのなさをたしなめられるばかりで、やがて抵抗する意欲も喪失してしまった。
だがイヨロンドは、ただの意地悪な娘ではなかった。
彼女はまさにモズの巣に産み落とされて孵化(ふか)したカッコウの雛(ひな)であることにまだ誰も気づいていなかった。
シャルルの父フィリップ・ダンブロワは、二十五歳でその父ギュスターヴから家督を相続していた。
ノエヴァのおよそ三倍にも及ぶ領土を持つ諸侯の一人となったフィリップ・ダンブロワのもとには、初め母方の従妹が嫁いで来たが、花嫁は輿(こし)入れからわずか四十日あまりで病を得て、四年の病床生活の末に子もなさずに他界した。
三十歳目前のフィリップ・ダンブロワから後添えにとエリザベトを求められた時、ノエヴァのアルチュールは大いに喜んだものだ。
ノエヴァは三方をアンブロワに面し、一方をなだらかな山に塞がれた土地であったが、よい葡萄の産地として知られており、評判の良い葡萄酒は、近隣の諸侯からも求められていた。
この葡萄酒がもたらす収入は、小さなノエヴァをそこそこ潤すものであったが、出来上がった葡萄酒を他の諸国へ運ぶ際にはどうしてもアンブロワの領地内を通らなければならなかったため、利益の一部が通行税と称してアンブロワに納められていた。
この通行税がノエヴァにとってはなかなかの痛手であったが、仮に娘のエリザベトがアンブロワに嫁ぐことになれば、縁戚関係の両家の間で何らかの便宜(べんぎ)が図(はか)られはしまいかと、アルチュールは大いに期待したのだ。
ノエヴァのためにも、娘のためにも、初婚同然のフィリップのもとへ嫁ぐことは願ってもみなかった玉の輿であった。
ところが、輿入れまであと半月と迫った頃、エリザベトが城門塔の階段から転落するという事故にみまわれて十六歳というはかない命を散らした。
娘の突然の死もさることながら、折角掴みかけた幸運を逃した衝撃もアルチュールには大きかった。
一方フィリップ・ダンブロワにとってもこれは由々しき出来事であった。花嫁が二度までも命を失う――そういう不吉な噂話が流れては、まだ三十歳で跡取りのいない彼にとっては甚(はなは)だ面白くない。
両者にとって不都合な折も折、イヨロンドが絶好の機会を掴んだ。
「養女の私がご養父様のお役に立てるのでありましたら、不幸なエリザベトの身代わりとして、私が喜んでフィリップ様の所へまいりましょう」
かくして、連れ子としてやってきたイヨロンドは、エリザベトのために準備された嫁入り支度をごっそり我が物にして玉の輿に乗った。
そして、そうなってしまえばこっちのもの、とでも言うように、イヨロンドの悪女たる振る舞いは以後表面化した。