その時、「ジョニー、ほら、グローブを買ってきてやったぞ」と言って優しく笑い、僕にグローブの入った袋を差し出してくれた。
「えっ……」それ以上、言葉を発することはできず、袋の中からグローブを取り出した。
夢のような瞬間だった。茶色いグローブで皮の匂いがする。僕はグローブを左手にはめて、右手の拳でポンポンと、二度グローブを叩いた。
「パパ、ありがとう。ずっと大事にするよ」まさに、夢が叶った、そんな思いでいつまでもグローブをはめて、それを見たり触ったりするだけで満足だった。
姉が「ジョニー、良かったわね! カッコいいグローブじゃない!」と言って笑った。その後、野球をどんどん好きになっていった。休みの日、父がキャッチボールをしてくれるのが僕の楽しみとなった。
父は兄のグローブをはめて、僕は買ってもらったグローブをはめて二人でキャッチボールをする。あの厳格で怖い父も、キャッチボールをしてくれる時は良いオヤジだ。
その頃、もう一つ、興味をそそるビッグニュースがあった。アメリカのロケット、アポロ11号が月面に着陸するという全世界注目のニュースだ。
ウチの一家はテレビに釘付けになった。おそらく、他の家庭も多くが同じような感じだったと思う。無論、日本のみならず世界の国々で。
テレビはまだ白黒テレビだったが、僕も固唾(かたず)を呑んで見守っていた。その時、「プロ野球選手になる」という自分の将来の夢が、「宇宙飛行士になる」という夢に変わっていたことに何の不思議も感じない。自分は、すっかり宇宙飛行士になったつもりで広い宇宙の中にいた。
しかし一週間もすると、宇宙飛行士になる夢から僕は覚め、僕の現実はグローブとボール、そしてバットに戻っている。時は流れ、季節は冬。クリスマスの時季がやって来た。
母は、僕ら姉兄弟に「クリスマスプレゼントは何がいい?」と優しく聞いてきた。一年でこの時だけ僕の母を見る目が変わる。
ただ、夏前に父からグローブを買ってきてもらった瞬間、「今度のクリスマスプレゼントは何もいらない。このグローブがあれば他は何ももらわない」と思っていた。それを忘れていなかった。
ということで、「ママ、僕は何もいらないよ。グローブを買ってもらったから」と言った。
「あら、ジョニー、本当に何もいらないの? あとで文句を言ってもダメよ」「うん、大丈夫。グローブがあるから」と僕。
すると姉が「ジョニー、偉いわ。それだけあのグローブを大事に思っている証拠ね。パパも嬉しく感じると思うわ」と言ってくれた。
父が嬉しいと思うかどうかは僕にはわからなかったが、とにかく、自分で決めたことをちゃんと言葉にして、実行しようとした自分自身が嬉しかった。
年が明けた初夏のある日、父は、兄と僕を広島市民球場に連れて行ってくれて、僕は生まれて初めてプロ野球の試合を生で観戦。広島対巨人の試合だった。
綺麗なカクテル光線にグリーンの芝生……、とても美しい。世の中にこんなにも美しいところがあるのかと思い憧れた。
【前回の記事を読む】クワガタに夢中だった少年は、次第に野球にのめりこんでゆく。母にグローブをねだるが……