腎臓がんで手術

二〇〇〇年には、十期生の担任を受け持ちました。

二年生の三学期(二〇〇二年)が始まるとき、人間ドックの超音波検査で腎臓がんが見つかったのです。結果、手術が必要ということで、入院することになりました。

泰子さんは、入院中毎日面会に来てくれました。とてもうれしかったし、ありがたかったです。手術は無事に終わり転移もなく、がん細胞もすべて切除されたとのことでホッとしました。

また、この年はギックリ腰で卒業式に出られなかった中学六期生たちの高校の卒業式が附属の城西高校で行われるので、何としても出席したいと思いました。

そうしないと、中学も高校も卒業式に出られないことになってしまいます。病院と学校は近くだったこともあり、外出許可をお願いして高校の卒業式には参列することができました。

 

家族会議全員賛成で早期退職に

私は以前から、学校での不登校の指導には限界があると考えており、学校を退職して専門的な指導をしたいと思っていました。また、がんで手術したこともあり、死について考え始め、残りの人生を自分の思うように悔いなく送りたいと考えるようになりました。

そして次男が高校生になるタイミングで、早期退職しようと思ったのでした。そこで、いつものように家族会議を開きました。早期退職したい理由を話すと全員が賛成してくれて、二〇〇三年に五十五歳で城西学園を早期退職することに決めました。

退職するとまずは、本当に不登校の子どもたちの指導ができるのかを確かめるために、学校に行かない、行けない子どもと青年の安心と学びの居場所「フリースペースコスモ」に問い合せたところ、受け入れてもらえることになり、ボランティアとして行くことにしました。

また、初めて公立中学校の非常勤講師と大学の非常勤講師もすることになりました。さっそくフリースペースコスモで指導を始めましたが、こちらが教えようとすると、子どもたちは離れていってしまうのです。

そこで、子どもたちに興味を持ってもらえることを勝手に始めてみました。すると、興味をしめした子どもがボチボチやってくるようになり、「よかったら一緒にやらない」と誘うとだんだん集まってきて参加してくれるようになりました。一年が終わる頃には、すっかりなじんでくれました。

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次回更新は10月10日(木)、18時の予定です。

 

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