蔵王堂に入り、私は思わず畳に跪(ひざまず)いた。3体の巨大な蔵王権現が彩色も鮮やかに私を睨(にら)んで立ち並び、その迫力に圧倒される。

蔵王権現は日本独自の仏で修験道の本尊である。権現とは衆生(しゅじょう)を救うために仮の姿で現れた神仏で、左から弥勒菩薩(みろくぼさつ)、釈迦如来(しゃかにょらい)、千手観音(せんじゅかんのん)の化身といわれる。

順番を待って蔵王権現の足元に正座する。隣では護摩供養(ごまくよう)が始まった。護摩を焚く炎が燃え上がり、僧侶の読経(どきょう)と太鼓の音が堂内に鳴り響く。蔵王権現を仰ぎ見る私の胸はいやおうなしに高鳴り、目には涙が溢(あふ)れてくる。

熱いものを胸に蔵王堂を後にし、次の目的地、如意輪寺に向かう。蔵王堂から谷へ下り、道標の案内で上っていく。

如意輪寺(にょいりんじ)

吉野にはいわゆる南北朝動乱の時代、南朝があった。足利尊氏と対立した後醍醐(ごだいご)天皇が都を吉野に移した際、如意輪寺は勅願寺(ちょくがんじ)と定められた。

宝物殿には寺宝が多く展示されていたが、蔵王権現の余韻(よいん)で拝観は上の空であったためか、あまり興味を引くものはなかった。

メモには、文殊(もんじゅ)・普賢菩薩(ふげんぼさつ)画像、吉野曼荼羅(まんだら)、愛染明王(あいぜんみょうおう)木像、楠木正行(くすのきまさつら)公ゆかりの品々、などとある。また、如意輪観音(にょいりんかんのん)が祀られた本堂内には入れなかった。

吉野駅へは来た道を戻らず、道標に従い温泉谷沿いの道を下っていく。「ささやきの小径」といわれ、ゆるやかな下りの快適な道で吉野駅へは近道であった。

明日は高野山である。今夜は高野山の宿坊に泊まるため、吉野駅から電車を乗り継いで橋本駅へ向かった。

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