私は再び東京に戻る決心をしましたが、愛犬ボスの養子先探しや、引っ越しの準備はほとんど私に任されていました。保夫さんの運転もあぶなっかしくてなるべく乗らないようにしていました。

私が日本に正式に帰国(?)したのは2006年でしょうか。妹の手助けのおかげで不自由な生活から抜け出し、次男のおかげでアメリカの自宅を売り、そのお金で江東区のマンションを買うことができました。

保夫さんは定年まで外資系の銀行の東京支店で働くことができました。今思い出しても、綱渡りの生活ぶりでした。

その間、妹の手助けで社会福祉法人三井記念病院の精神科に二人ともお世話になることになりました。保夫さんはすでに認知症の初期でした。私は先生の薬で次第に調子を取り戻していきました。

保夫さんとの死別は平成29年(2017年)2月8日です。その後、アメリカに住む次男一家が「大きな家に移り住むから一緒に住んでもいいよ」と誘ってくれました。

ただ、一度放棄したグリーンカードの再取得は困難を極め、2年2か月後にようやく取れても時代の流れが大きく変わり、コロナの影響もあったので、結局移住は諦めざるを得ませんでした。

10年近くの介護の生活が終わり、保夫さんが亡くなってから3年目の2020年4月に家の近くの英語学校で将来のパートナーと出会い、お付き合いを始めたのは2021年3月からでした。

新しい場所で再出発をしたいと、とても気に入っていたマンションを売りに出し、ちょうど目にした新聞広告のシニア向け分譲住宅に越してきました。安心、安全、快適なマンション暮らしです。