秘書室に異動してから、各社の社長・会長の偲ぶ会や社葬に出席することもたびたびあったが、この総合酒類食品企業の社葬には、衣紋を抜いて、喪服を小粋に着こなす女性が多かったのが印象的であった。
その中でも周囲に目配りをする如才なく振る舞う女性が、微笑みながら近づいてきた。そして、渉太郎の前でおもむろに立ち止まった。どこかで会っている薄ぼんやりした記憶がある。が、名前がどうしても思い出せないでいると、
「あらもうお忘れですか」
誰(た)が袖の香を聞く袂を上げた。
「いつもお世話になっています」と、足元から目元まで丁寧に目線を動かして挨拶した。
手には橡(つるばみ)色の利休バッグを携えていた。
「あら、いつもご贔屓になっていますのはうちの方ですわ」
衣に焚き込めた高雅な薫りが漂う。目元に皴を寄せて微笑した。
「料亭賀茂茶寮の西川様ですね」
名札を一見して、かろうじて名前を伝えることができた。女将の西川さんは二十一世紀を目前にした一九九九年十一月、ファウンダーの社葬時に上京され、接遇させてもらった方であった。
式次第を読みながら、「あら、お家元がお出ましですかぁ」
渉太郎にも嗜みのあった茶道に話題が及んだ。
女将は千家の栗花落庵(つゆりあん) にも出入りされていて、お家元とも顔なじみであったことを思い起こした。社葬の当日、VIP控室でお家元に紹介の労を取ってもらったのも、料亭賀茂茶寮女将の西川さんであった。
「今度、うちにおこしやすときはお一人でおこしやす。お一人で来られた方は皆さん秘書から頭取はんやら社長はんにお成りどすぇ」と、お誘いを受けた。