翌朝、知世は昨夜の目まいが嘘のように元気を取り戻し、家族のために朝食を作り、子供たちを送り出した。それを見守る高志は、改めてその頑張りに感心しながら、昨夜あれから彼女のために密かに用意したものを忍ばせていた。

知世が朝食の後片付けをしていると、高志がおもむろに話し掛ける。

「知世。前からお菓子作りを習いたいと言っていたよね?」

「ええ。女将業の中では、なかなか通うことができなかったけど」

「今なら時間があるんだから、行ってみたらどう?」

「えっ?」

「ここに製菓専門学校の資料があるから、時間的に無理じゃなければ、思い切って通ってみたら? 今しかできないことだよ」

高志が昨夜プリントアウトしたパンフレットを差し出した。知世は高志からの思いもよらない提案に驚いた。

「旅館をやっている時と違って、僕ら夫婦が事務所で朝から晩まで顔を突き合わせているのは良くないだろう。女将は今日まで激務続きだったんだから、この際やりたかったことをやって自分を解放させてみるのもいいと思うよ。大事なことはちゃんと相談するから」

「あなた、私のことを考えてくれたのね。私も新しい茜屋に相応しい女将像にチャレンジしなきゃね」

知世は高志の心遣いに触れ、パンフレットを愛おしそうに眺めていた。

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本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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