「中で研究されている方々も、とても安らぎを感じられ、快適で疲れが残らないし、食事もコーヒーも美味しく感じるとおっしゃってました。私も大好きです!」と知世も話す。

「ただ、私は日本旅館を設計した経験がなく、お引き受けするとしても相当勉強が必要かと思います」と小堀が懸念を示すと、

「それなら一度、あわらにお越しいただき、これから解体予定の茜屋の燃え残りの部分や他の日本旅館などをご覧いただけないでしょうか?」

こうして小堀のあわら行きが決まり、その二週間後あわらにやってきた。茜屋の解体現場を食い入るような眼差しで熱心に見学すると、次に既に廃墟となってしまっていた華会亭と梶宗という二つの旅館を見て回った。

小堀はその廃屋を眺めながら、「あわら温泉全体をもっと盛り上げなくてはならない」と温泉街自体に強い危機感を持った。

色々な関係者からは、旅館専門の設計士に依頼した方がいいとの進言も多かったが、高志と知世は従来の日本旅館の良さを残しながらも、より耐震性が高く、自然環境に優しい新感覚の茜屋にしたいとの考えから、敢えて小堀に賭けてみることを決意し、小堀もこの思いに応える決意を固めたのだった。

茄子も色付く六月のある日、隣町である坂井市三国町で「おけら牧場」という農場を営む山崎一之、洋子夫妻は高志たちへのあるサプライズを計画していた。