第四章
この出来事があって以来、おばあちゃんは鯨のことを言わなくなった。
ちょっと行動がおかしかったり一度言ったことを何度も言ったりと認知症の具合に変化はなかったけど、私にはほんの少し満足したようなおばあちゃんに見えていた。
「おばあちゃん、また来るね」
おばあちゃんの反応は薄くて、その言葉がおばあちゃんに通じていなかったかもしれないと思った。そして、その日から一ヵ月くらい過ぎた頃、おばあちゃんは亡くなった。
おばあちゃんの遺品をお母さんたちが整理していると、封筒とその中に込められたメッセージが一枚見つかった。
家族に宛てた今までの感謝が書かれていた。いったいいつ、これをおばあちゃんは書いていたのだろう? そしてその手紙の最後の方には、日向子さんへの言葉と思われるものもあった。
日向子へ
お母さんはあなたに短い人生しか与えられなかった。ごめんなさい、許してね。だけど、今は鯨に乗って世界中を旅している最中かしら。よかったらお母さんも連れていってくれない? あなたにもっと寄り添いたかった。こんどは一緒に行きたいのよ。
便箋の端っこの方は涙が落ちて濡れたのだと思う。よれて皴になっていた。おばあちゃんの腕、皴が多くて血管が浮き出ていた頑張り屋の腕を思い出す。
「お母さん、おばあちゃんの手紙……」
私が涙ぐむと、お母さんは「遺灰の一部は海に撒いてあげましょう」と言った。
「うん。それがいいよ」
「杏南、おばあちゃんはあの鯨に会えるかしら?」
「会えるといいね」
【前回の記事を読む】お母さんにはもう会えない…ということを聞いて涙が出た。それから私は、一週間以上泣き続けた
次回更新は10月2日(水)、11時の予定です。