プロローグ

机の周りを片付けて部屋から出ようとしたとき、机の上に取り残された電話に、メッセージランプが点滅していることに気がついた。今日は吹田営業所を去る日だ。引き継ぎのメッセージだろうと思い再生ボタンを押す。

しばらくして、突然流れ出したのは予想外のピアノの音。意外な成り行きに驚き、もう座ることがなかったはずの席に座り直した。聴き覚えのある心に染み入る曲が、ゆっくりと空っぽの僕の心に降り積もっていく。曲名は分からない。

一曲終わると今度は別の曲だ。これは少し前にときどき耳にした曲? 曲名はやはり分からない。ピアノの音が消えた後に言葉は続かない。退職の日に留守電にピアノ? 何かの間違いで迷い込んだとも思えない。これは一体何だろう。もう一度再生して、今度は持っていたスマホで録音した。誰からだろうか? 何か意味のあるメッセージなのだろうか?

東京で大手自動車メーカーの販売系列社に就職した後、自ら希望して子会社の中古車ディーラーに出向してこの大阪にやってきたのは3年前、20代最後の春だった。そして夏の盛りの金曜日の今日、東京に戻れば来週からは沖縄の浦添営業所に転勤だ。

3年前にここに来たときは本当にやりたい仕事ができると思い意気揚々だったが、吹田営業所を去る今日の僕はまるで深く海の底にでも沈んでしまっているような気分だ。沖縄か、その先はもうないな。しかし、大学時代に友達と一緒に遊びに行った沖縄の記憶はただただ限りなく青く、美しい。行けばなんとかなるかもしれないという儚げな期待はある。