その活き活きとした新陳代謝が引っ切りなしに客を呼んだ。そして、その輪が市内から県内、北陸、そして全国へと広がっていき、毎年右肩上がりで売上げを伸ばしていった。

野中も、当初から毎週のように屋台村をハシゴして見守り続けた。そして時には経営者を励まし、外からの批判には防波堤となって弁護するなど、すっかり屋台村の守り神になっていた。

こうしたサポートの甲斐もあり、五年後に湯けむり創生塾は借りた一千万円を早々に完済することができ、前田と美濃屋が野中のもとへお礼と報告に出向いた。

「お陰様で屋台村を実現させることができ、それを軌道に乗せることもできました。そして、ついに先月借入金を無事完済することができました。本当に今日まで有難うございました!」

二人が頭を下げると、野中は、

「五年間、地元の役に立てて、私はとても楽しかったよ。こちらこそ有難う。立派な屋台村に成長させてくれたな。これも君らが本当によく頑張った成果だ。おめでとう!」

そう言って、ただ静かに笑った。

「屋台村」が軌道に乗った後、今度はあわら温泉と福井県全体の観光産業を発展させるべく、野中は県議会議員として政策立案し、それを実現するため精力的に汗をかき続けた。

その中の一つが、福井県内で「全国大会」や「国際会議」を開催して県内に宿泊する団体や、福井県を舞台にした映画作りをするクリエイターに拠出される魅力的な県補助金制度だ。