華やいだ声とともに現れたのは、艶やかな着物姿の女たちだった。槇村が祇園の置屋(おきや)から、舞妓と芸妓を呼んでくれたのだ。
「オー、バッケ!」
ヨンケルは突然の来訪者に、また驚いた。彼女らを見るのは初めてのはずで、目が釘付けとなっていた。
「まめ咲(さき)と申しますぅー」
まずは舞妓が、照れながら言った。まだまだ子供のようで、髪型と衣装からもすぐそれとわかった。
「よっしゃ、よっしゃー」と、槇村が鼻の下を伸ばした。
その隣では、明石博高が赤い顔をほころばせて声を上げた。
「待ってました!」
三人のうち一番若く、今年三十三歳の明石は、この手の遊びを特に楽しみにしていたようだった。
舞妓の次は、芸妓たちが順番に挨拶していった。その一人は華(か)つ美といい、年増の方の妓は富久菊(ふくぎく)と名乗った。他には三味線を弾く地方も一人いて、お座敷はいきなり華やかなものとなった。
舞妓や芸妓たちの酌で、ヨンケルたちはさらに酒が進んだ。合間に彼女らは、京舞(きょうまい)を披露してくれた。
酔いが回った頃、三味線に合わせたお座敷遊びが始まった。遊び慣れている槇村と明石は、芸妓らと一緒に、『こんぴらふねふね』や『とらとら』とかいう遊びに興じ始めた。
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