社長は鉄からアルミに転換してから、鋳物工場には寄り付かず、もっぱら建設部門の陣頭指揮を執っていることが多かった。
自分の知らないところで業績が拡大していくのが、不安だったに違いない。それだけに報告を密にすべきであった。松葉は大いに反省した。図面ができるのを待っていては遅くなると思った松葉は、翌朝、社長室にフリーハンドで書いた配置図を持っていった。
ひと通り説明が終わると、社長は、「幾らの投資になるのか。金はどうするのだ」「こんな田舎で、こんなものがそんなに売れるとは思えない。大都会だけでしか売れないとも聞いたが、誰が売りに行くのか」と、松葉が応える前に否定的な言葉が次から次に飛んできた。
「俺は、文無しで始めた。人を当てにするな」
畳み掛けるように言われた。
「兎に角、この投資はやめろ。まだまだ、このアルミの仕事がどうなるかも分からないのに投資なんかできるか」
などと言われて、松葉は途方に暮れた。
これほどまでに、この事業に理解がなかったのか、日本の中央に打って出て行こうとするチャレンジ精神に頭から冷水をぶっ掛けるようなことを言って憚らない社長に、松葉は失望した。
そんなことまで言うのだったら、毎月赤字を出していた鉄鋳物生産から手を引かざるを得ない状況のとき、鋳物工場をどう改革していくか、指し示すべきではなかったのではないですか、何とかここまで製品化できたものを、「こんなもの」呼ばわりされて、今までの努力は何だったのだ。