第四章 波紋

わたしは、『告壇』がわたしの中傷記事を書いたことを問い質(ただ)してやろうとしたが、西純さんはわたしの背後に近づいてくる人に気づいて、すっと立ち去った。

ふり返ると、ベージュの外套に陸軍の黒の軍服姿の人が立っていた。

わたしは一瞬誰だろうと思ったが、以前一度だけ会ったことがある、晴子の恋人だった。柿久(かきひさ)中尉である。涼しげな目と、きちんと引き締まった口元には見覚えがあった。柿久中尉も、錦秋県の人たちの演説を聞いていたのだろうか。

「大丈夫? なにか、因縁をつけられてたみたいだったけど」

「ありがとうございます。あのまましゃべり続けていたら、ちょっとまずいことになってたかも」

「あの男、記者なの?」

「そうなんです。『告壇』っていう週刊新聞の。……あの、城屋で働いていた女工たちがひどい目にあっていたっていう話、あれは嘘ですから」

柿久中尉はあっさり言った。

「うん。知ってる」

よかった。

柿久中尉もわたしと同じ方向に行くところだったらしく、わたしたちは自然に並んで歩き出した。

「さっきちらっと聞こえたんだけど、君はいま、星炉貴子っていう人の所で働いてるの?」

「はい」

「そこに、集井(つどい)卓(すぐる)って人が訪ねてくることはない?」

「……お名前は聞いたことありませんけど、どういう風貌の方ですか?」

「五十六歳で、背は高くない。やや太ってる。髭は剃っていて、眼鏡はかけてない。眉毛が長くて、人の顔を盗み見るような目をしてる」

「……見たことはないです」