「私が農業のイメージを変えてやる!」そう決意して農家の嫁になったのだ。
結婚して娘と息子が生まれた。息子は、最初から "跡取り"と言われていた。何もわからないのに、「農業、継ぐのか?」と聞かれると「うん」と答えていた。
そのうちに、自分から「大きくなったら、キュウリとトマトを作る」というようになり、まわりの」大人を喜ばせていた。子供ながらに大人の気持ちをわかっていて、私たちは騙されていたのかもしれない。
ところが、学年が進むにつれて息子の様子が変わっていった。農業に対する拒否反応が現れてきたのだ。彼には彼の夢があって、「オレは絶対に農業なんかしない」というようになった。そして、だんだんと反抗的になって、ビニールハウスに石を投げるようになった。
息子の部屋から一番近いハウスに、わざとストックを植えたこともあった。ストックは、外からでもいい香りのする花である。それでもダメだった。それからというもの、私たち夫婦は息子の前では農業の話をしないようになった。
「お父さんとお母さんは、好きで農業をやっているのだから、お前も好きなことをやっていいんだよ」などと、格好いいことを言っていた。本音は全然違うのだけど・・・。
さて、私の農業のイメージチェンジをしょう、という目的達成のことだが、農業では無理だといわれる休日を設けた。ちょうど、輪島朝市の定休日が毎月十日と二十五日である。私たちは、月二回ではあるが、その日をわが家の休日に決めた。