気がついたらこんなことに
そういえば、アルバイトの計算はどうしているのだろう。聞くと、なんと! 自己申告をしてもらって給料を払ったそうだ。私が全部やっていたから、他の人はわからないのだろう。それにしても、自己申告には驚いた。私がいないとみんな大変なんだ。
でも、なんとかしているではないか。おばあちゃんの世話などはどうしているのだろうか。こんな一大事な時こそ、施設にお願いすればいいのに、そのことに気もつかないほど、毎日が慌ただしかったにちがいない。
やがて、頭の水も溜まらなくなり、退院の日が近づいてきた。でも、私はぜんぜん自信がなかった。まともに歩くのがやっとなのだ。
頭の手術をすると、頭の位置を変えることがこんなにも困難だとは知らなかった。振り向くことができなくて、身体全体で向きを変えるしかないのだ。まるでロボットのようだ。まっ平らな地面に立つのは平気だが、少しでも斜めになっていると、目が回って倒れそうになる。
こんなわけで、帰ってからも何の仕事もできなかった。事務職なら、とパソコンのスイッチを入れると、やっぱり頭が痛くて重くなった。仕事どころか、一日一日耐えるのがやっとの思いで、「病院にいたほうが良かった」と思ったりした。なんで、こんな私が退院できたのだろうと後悔もした。
しかし、月日は薬である。時間がたつと少しずつでも良くなってきているのがわかる。そんな時、娘にちょうど再就職の話が舞い込んだ。私のために、好きでもない農業をするはめになった娘がかわいそうだった。「お母さんは、もう大丈夫だからね」と再就職を促した。
姑は、グループホームにお世話になることになった。介護の仕事の分は減ったけれども、生産から収穫、販売ともなると農繁期の忙しさといったらハンパではない。
「私がいなかった時はどうしてたん?」と聞いても、誰も覚えていないのだ。「さあ、どうやって乗り越えてたのかなあ」と、家族全員が記憶喪失になっているのだ。私に気を遣っているのではなく、本当に余裕がなくて、毎日を無事にこなしていくのがやっとだったのだ。
私がいなくてもやっていけたではないか! 人間はせっぱ詰まるとどうにでもして生きていけるのだ。妙な自信がわいてきた。