もしもそうなら、私企業が公益事業を行う場合の財産権に関する見返りとしては、通常は電気料金しかなく、電力会社の株主の適正なリターンを確保した上で、事故について支払った損害賠償のコストを回収できるようにする必要があり、このことのために事故対応策として電気料金の大幅な値上げが必要となるはずである。

福島原発事故を契機として、他の原子力発電所を有する大手電力会社にとっても、原子力発電所の廃炉等を求められる可能性が否定できず、いわば将来リスクのための廃炉積立金制度の財源としても、電気料金に頼らざるを得なくなるものと思われる。

電力の自由化を進めながら、一部の電力事業者だけに原子力発電のあまりにも大きなリスクを負担させると、イコール・フッティングな電力業界の公正な自由競争はできないことになる。発電だけを石油やガスで行う事業者が、価格競争において有利となるからである。

原子力発電による安定供給の上に立って繰り広げられる電力の自由化にあっては、原子力によらない発電事業者も、安定供給のための相当のコストを支払うべきこととなろう。そうだとすれば、電力の自由化は、国民にとってあまり有益な結果を生み出さないのではないかとも思われる。

政府は、電気事業の自由化に舵を切ったのであるから、安定供給のための原子力発電に関しては、国が、原子力発電事業者から原子力発電部門を買い取り、自らがその運営をするほどの覚悟が必要であるといえよう。

国が、電力の自由化を進めるのであれば、原子力発電はフランスのように政府の事業とすることが前提となるかもしれない(本書149-150頁参照)。