千恵は独身時代に香港に来て、夜景を見ている。私はあえて口にしなかったが、今回の旅行の目的の一つとして、香港の夜景を堪能することを挙げていた。思い出を作るためではない。
生きるということがいかにすばらしいものであるか、生きる希望を持ってほしいとの思いから旅行することを決めた。私は、
「また、いつか来ようね」
と約束した。翌日は帰国の日であるが、空港で飛行機が飛ばず、六時間程度待たされた。待っている間、私はビールを飲み、あちこち回って時間を潰した。
「カメラは?」と千恵から声をかけられた。首にかけていたデジカメがない。どこかに置いてきてしまった。
「あ~あ、香港・マカオの記念写真が一枚もなくなっちゃった」
「老後の楽しみが、また一つ消えちゃったよ」と千恵は言ったが、
「ごめん。まあ、いいか、どうせ、もう一回はここに来るだろうから……」と言って笑ってごまかした。
またここに来るまでは、死んじゃだめだよ、ずっと元気で頑張るんだよと心の中で、囁いた。
その年ロンドンで、五輪が開催された。千恵と私は、よくTV観戦していた。国内の試合はほとんど見ないが、ワールドカップや五輪のような国際試合になると興味のないような競技でも見入ってしまう。
千恵はイケメンが大好きで、イケメンが出ている競技は、種目に関係なく時間があれば見ていた。
五輪が終わり、メダルを獲得した選手たちによるパレードが銀座で行われた。大好きな水泳の選手がパレードに参加するということで、千恵と娘は銀座のパレードを見に行くことにした。
その日は、特に暑い日だった。抗がん剤の投与により、体調はそれほど良くはなかったが、それでも、
「元気をもらってくる、免疫力も上がると思うし……」と言ってニコニコしながら二人で出かけた。