退院してからは、妄想もウソのようになくなり、従来の姑に戻った。病院のことはおおかた忘れているので、折りにふれ話すことにしている。

物忘れが以前にも増してひどくなったのと脚を除いては、ほとんどこれまでの姑に戻った。歩行は以前のようではないが、年相応のような気もする。

入院前の姑は人がびっくりするほど達者に歩いていたのだ。信号無視、横断歩道無視は常のことで、よたよたしていたら命がいくつあっても足りなかっただろう。

物忘れも年相応で、元々人の言うことは聞き流していたのを私が勝手に物忘れと思い込んでいたようだ。夫は長い付き合いだけのことはある。あれは性格やと言う。

今頃気がつくとは私も相当おめでたい。独り相撲をとり神経をすり減らしていた自分があほらしく思えてくる。退院以来ずっと密着した生活をしてみて、私が嫁に来た時と何ら変わっていないことに改めて気がついた。人の生活態度や考え方は私を含め変わらないものだと思わざるを得ない。

姑と私は交わることのない線路のようなものだ。世間で言う嫁姑の関係の真逆をいく我が家、私は口うるさい姑で、姑はそれをうまくあしらう嫁、あるいは母親と子供の関係のようなものだ。

八十六年の生き方を変えぬ姑と五十九年の生き方を変えぬ嫁。二人はこれでも三十年間やってきたのだ。これからもお互い支え合いながらきっと続くことだろう。

【前回の記事を読む】息子に姑が退院することを伝えると、良かったねと言いながらも「正常に戻るかな」と心配し…

次回更新は7月27日(土)、14時の予定です。

 

【イチオシ記事】「気がつくべきだった」アプリで知り合った男を信じた結果…

【注目記事】四十歳を過ぎてもマイホームも持たない団地妻になっているとは思わなかった…想像していたのは左ハンドルの高級車に乗って名門小学校に子供を送り迎えしている自分だった