悠子は優の簡潔な説明に聞き入っていた。

悠子は優の説明を聞きながら信長の思想、信念はいつ確立したのか疑問が生じてきた。

例えば「天下統一」の野望はいつころから思いついたのか、あるいはその後の戦い、比叡山の焼き討ち、長島一向一揆における皆殺し、高野山の粛清など常人では思いつかないし、何より精神的に耐えられない行いである。

信長はそれらの行動に耐えうる信念、思想をしだいに身にまとったと考えられる。

そこまで思いつくと自分ではどうにもならず中川館長に相談した。しかたない仕儀である。

「その悩みは私もずいぶん苦しんだ。小笠原君は意外と早く気が付いたほうだ。信長学を学ぶと、誰しもがそこで迷い、苦しみ、そこから抜け出せないでいる。もっとも、この難題を解いた人は未だ現れていない」

中川館長の説明で、なぜかほっとした悠子だった。

「館長はどう考えられたのですか」

続いて優も館長にたずねた。

「一般論として、若い時に教えられたことが生涯の信念、心情として確立すると言われております。信長の場合はどうでしょうか」

しばらく時間をおいてから館長は話を切り出した。

「この話は学術的に裏打ちされたものではない。長年、信長について調べてきたことから私自身が思い付いたことだ。今まで誰にも語ったこともない」

館長の神妙なる語り掛けに二人は緊張した。

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