ザ・バサラ
「まず一点、信長の思想が固まったのは十代後半であろう。父親の死、弟信行の殺害という、人生最大の関門を迎え、乗り切った頃が妥当と考えられる。その頃、感化できたのは沢彦宗恩しか見当たらない。
次に比叡山焼き討ちや一向宗との戦いは余程の精神力を身に付けていないとできない行為だ。となるとその行為が行えたのは、信長にはそのことに勝る信念があったことになる。その信念を形成するにあたっては高位なる仏法、仏道を身に付けたに違いない。信長は常に確信してから行動していることがうかがえるからそう言える。
その根拠を考えてみよう。まず、そのように教育したのは沢彦宗恩しかいないと思う。宗恩との師弟関係では相当高い境地まで踏み込んだやり取りがあったに違いない。臨済宗の経典には般若心経のほかに法華経がある。宗恩は信長に法華経の神髄を教えたのではないか。それしか考えられない」
館長の思いがけない話にびっくりした二人であった。
二人とも若く、また仏教、お経についての知識も無いに等しかったからである。
中川館長の語りは続いた。