「仏教には他の宗教、例えばキリスト教、回教とは違って哲学的要素が色濃くある。
釈迦は人類最初の哲学者であったという学者もいる。数学でいうゼロの発見は古代インドである。その反対は何かというと無量代数という表現を用いている。では無量代数とは何か。例えていうと、ガンジス河の巨大中州にできた砂浜の砂粒の数量は幾つかという命題に対し、答えは無量代数という答案だ。この答が如実に表している。
人類において、初めて哲理が生まれたといえる。そしてその時代、釈迦は宇宙という概念を理解している。宇宙にまつわる概念とは、時間であり、空間であるという表現で表す。仏教の教理において、「時間」あるいは「空間」について定義、定理を公策している。
その仏教の神髄を極めた仏教哲学が法華経としてまとめられている。その教理は二十八章に分かれ、驚天動地の世界を見せている。一般人の常識をはるかに超えた世界が示されていた。そこには摩訶不思議な観念のなかに、人類の生き方を、存在を、説いている」
館長の話は思いがけない方向に向かっていた。
悠子と優は驚きの連続で聞いていた。これまで諸先輩が作り上げてきた信長の研究から逸脱した見解であった。しかしこれまでの信長研究では彼の根幹を推し量った成果は見当たらない。そう思うと館長の考えてきたことは、信長の見方、評価を大きく変えることになる。
二人は戸惑いながらもうなずいていた。二人とも哲学や宗教については心得も薄く初心者その者であったからである。中川館長の話を聞いて、信長の心情、信念の一端を理解することができた。
悠子と優は信長公居館跡地を歩いていた。
金華山麓西面一帯は岐阜公園として市民の憩いの場となっている。この公園は明治二十二年の開園で日比谷公園より古く全国の先駆けとなった公園である。戦後は猿や鹿、ペンギンなどを飼育し子供たちの遠足で行く人気の場所であった。
お目当ての施設として、名和昆虫博物館がある。その隣に二人が勤務する岐阜市歴史博物館がある。そしてこの公園から金華山頂までロープウエーがあり三百三十四メートルの山頂まで三分で行くことができる。