ザ・バサラ
「津島と長良川上流にあたる岐阜とは元々から縁があった。そこに津島商人を全員呼び寄せた。信長が町づくりにかけた意気込みが分かる史実ですね」
悠子も感心したように言った。続いて館長が語った。
「歴史をひもとくということはそうした史実を拾い、繋ぎ合わせ仮説を立てながら構築していくことだ。ヒントは思わぬ所に落ちている。世間一般でいう常識から少し目線を変えてみることも必要だ。信長公居館の再生は至難な事案になる。あわてないでいろいろな角度から探していくより方法がない」
館長の言うことにうなずく二人であった。
「そうだ。次の週末に高山市で歴史研究会がある。高山城は信長の家臣であった金森長近が築いた城だ、参考になるかもしれん。歴史文化がある町だ。それに酒もうまいし、おいしい料理もある。気分転換して皆で行こう」
館長の提案に二つ返事で賛成した二人であった。
悠子は優に金森長近について調べるように言った。
高山に出かける二日前、優は悠子に報告した。
「金森長近は美濃の守護であった土岐家の一族です。出自は名門です。長近の父、定近の代の時、定近の父、土岐成頼と長男元頼との権力争いが起きます。
そして兄、元頼が勝利した。元頼は自分に加勢しなかった定近を美濃から追い払った。初めは多治見大原に逃れた。
しかし、そこも追い払われて結局、琵琶湖草津に近い、金が森に住むことになって、ようやく落ち着きます」
「長近はそこで育ち金森五郎八可近と名乗ります。十八歳になり、織田家に任官し、信長付きを命じられた。その時信長は八歳でした。
その後信長の赤母衣衆に加わるも大きな戦歴はありません。本能寺の変においては越前衆の一人でした。
柴田勝家の与力となり、越前大野城の城主となっておりました。その後秀吉が権力を握り、信長の跡を継ぐようになり、秀吉から飛騨侵攻を命じられ、戦いに勝利します。
その戦功により飛騨国主となり、高山城主となっています。地味な存在で歴史に名をはせておりません。信長の家臣団ではとりわけ目立つ存在ではありませんでした」
優の報告を聞いて悠子は長近について興味が沸かない人物となっていた。
二日後、悠子と優は中川館長と一緒に高山に出かけた。しかしながら高山で思わぬ発見ができたのだ。そこで大きな巡りあわせがあり、信長の実体に近づくことができたのだ。
金森長近こそ信長の護衛隊長であり、官房長であり、影の参謀でもあった可能性を知り得たのだ。信長の近習役として信任を得た長近こと、五郎八可近は大いに活躍していたのであった。