また、長近は、尾張人質時代の家康とよしみを交わしていたようだ。
そしてまた、清州城時代、足軽屋敷において秀吉の妻ねね、前田利家の妻おまつ、そして長近の妻おふくと家族ぐるみの付き合いを八年もの間、過ごしていた。三人の妻はそろって賢夫人としてよく知られている。
三方ともに出世前の出来事であった。この繋がりがその後の出来事に深くかかわっていく。そして歴史が刻まれていったのだ。
三人は優の運転で高山に向かった。
館長の計らいで休暇扱いとなり、悠子と優は観光者の気分となっていた。高速道路のおかげで高山に二時間かからず十時前に到着した。
出迎えてくれたのは高山市教育委員会の大田さんだ。
館長の説明では、大田さんは文化財担当三十四年のベテランの方ということだ。いわば高山文化財の生き字引のような人だとのことでした。でも会うとても気さくな人だ。やさしさ温かみが感じられる方であった。
「おはようございます。中川館長お久しぶりです」
明るい一声で始まり、肩の力をぬいて紹介しあうことができた。
「今日の予定です。午前中は私が町を案内します。午後は館長と私は会議に出席するので、お二人は博物館など見学してください。夕食は料理屋を予約してあります。楽しみにしてください。館長がいつも泊まられるビジネスホテルは予約してあります」
行き届いた心遣いに感謝しつつ、大田さんの案内で町を歩いた。町は平日にもかかわらず賑わっている。外国の方も多い。
町中にある商店の店先に構える団子屋さんに近付くと、団子を買い求めて皆に配っていた。
「高山の団子は名物です。何か所かで売っていますが、ほとんどが醤油味です。この店だけは醤油味のほかにエゴマ味で焼いています。食べてみてください」
手渡されたエゴマ味団子を口に入れるとおつな味と香ばしさが混ざりとてもおいしかった。二人はさすがに地元の通人であると思った。
上三之町から上二之町を抜けて日下部家に着いた。
「ここと、隣の吉島家は高山を代表する町屋です。両方とも国の重要文化財です。今日は時間の関係でざっとだけ見てみましょう」
そう言うとさっさと玄関から中に入ったので皆が続いた。
【前回の記事を読む】ポルトガル宣教師が記した、信長の居城の評価はかなり高かった。京の都の御殿と比較しても最高度の評価をしたと言えよう。
【イチオシ記事】「歩けるようになるのは難しいでしょうねえ」信号無視で病院に運ばれてきた馬鹿共は、地元の底辺高校時代の同級生だった。