山頂にはコンクリート造りの三階建て岐阜城が模擬城として建てられた。岐阜城の展望台からは濃尾平野を一望することができる。そのロープウエーの出発駅のすぐ南、横側が居館跡地である。十数年前から発掘調査が始まり今も続いている。

実際はロープウエー駅もその跡地の内であるが、建設当時はその意識が欠如していて今となっては残念な結果となってしまった。

信長公居館遺跡は公園の中ほどに入口があってそこから山に向かって進む。入るとすぐに大きな岩で囲われた虎口となる。虎口とは戦国時代の城構えから見受けられる形式で、城の入口に当たる箇所に敵の軍が突入を試みても容易に侵入させない構えである。食い違いに進入路をこさえ、大軍が一挙に攻め込むことを妨げる工夫である。

発掘した時、出てきた岩の大きさは、ゆうに三メートルを超えていた。

現在は観光のために通路舗装でかさ上げしたのでかなり低く見える。そこから上がったところが千畳敷と呼ばれる広場になる。その場所の前に、ケヤキ谷から流れる渓流が傍らに見える。その谷の右側に沿って段段に整地された地形に館が造られていた。渓流の山側、つまり北側には池を中心とした庭園があり、橋がかかり、周囲を回遊できる仕組みとなっていた。

館の跡地は谷の奥に向かって三段になり、三メートルほどの段差が見られる。

この辺りでは谷が狭まり山の岩肌が露呈し、谷川にある大岩が組み込まれ、深山幽谷の景観を見せている。

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