なのに祐隆は「祐継に全部譲る!」と息巻いて、祐親の存在を完全に無視。しかも、こともあろうに祐親を屋敷から追放、河津へ追い払ってしまったのだ
不平不満は計り知れないが、しかし祐親はさすが歴史に名を残す名将、なかなかに慎重派。
「じいさんが生きている間はまずい……。だが、どうせ先は長くないさ。じいさんが死んだら、その時は……」と、じっと時節到来を待っていたのだった。
そして、ついにその時は訪れる! 祐隆は死亡し、次いで祐継も突然肺炎になって死亡寸前。この祐継には、九歳の息子がいた。何を隠そう、この子供こそ、その後の工藤祐経。
「おお、不憫な子だ。十歳にもならないお前が、わしの死後、誰を頼りにすればいいのか」と、祐継は我が子の行く末を案じて、おいおいと嘆き悲しむ。
そこへ、満を持して伊東祐親が登場。祐親、この頃はもう立派な成人である。
「ご案じなさるな。この子のことは、祐親が後見となって面倒を見ましょう。決しておろそかには致しませぬ」と、おごそかに宣言。祐継はうれし涙にかき暮れて
「ああ、そう言ってくれるか! 何とうれしいことか。いや、そなたは我らに恨みを持っていると、下々の者が噂をしていたので、ずっと心を許すことができなかったのだ。
だが、そう誓ってくれるのなら、もう安心だ。この幼い者をそなたに任せるぞ。祐親よ、そなたには大勢の娘がいる。ゆくゆくはその一人をこの子と結婚させ、成人したら伊東の領地をすべて祐経に継がせてくれ」
こう一方的に色々決めつけて祐継は死亡。親父そっくりの、身勝手すぎる人生だった。
しかし――、こんな滅茶苦茶な遺言を、祐親が馬鹿正直に守るはずがない。嫡流でありながら存在を無視され、家を追い出された積年の恨み。
「こんな餓鬼に伊東を取られてたまるか。自分が伊東の棟梁(とうりょう)となるのだ」
野心に燃える伊東祐親。まずは祐継の遺言通りに、自分の娘を祐経の嫁にし、うまうまと義理の父となると、
「よいか、祐経。我ら伊東の家は平家の恩を受ける身。だからお前は京都へ行って、平家に仕えろ」と、祐経を京都へ送り、うまい具合に伊豆から追っ払った。
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