第一部 佐伯俊夫
第二章 進展
「そうです。食べて、寝て、起きて、一日を可もなく不可もなく無難に過ごしていくだけでは私は到底生きているとは感じられない。それは生命体として単に死んではいないというだけです。
人間として人として生きている以上、何かに興味を持ち、それをもっと知りたいと願い、探求するために命をかけ、起こる出来事に一喜一憂しながら自分の中に湧き上がる正や負の感情にとことん向き合っていくのでなければ、死んだほうがましだ」
自分自身の言葉が強くなり過ぎたと感じたのでしょう、浜村さんは少し恥ずかしそうに、「そしてその過程で、一緒に歩いてくれる相棒や仲間が見つかれば人生はより豊かになるでしょうし、こんな幸せなことはないと私は思っているのですよ」
浜村さんにとっての「生きるための何か」が《聖月夜》の詩の謎を解くことであり、その相棒が私なのだということは十分にわかりました。
私もこの月ノ石に来て、東京にいた時には考えもしなかった様々な人々に出会い、ちょっと変わった出来事に遭遇し、ごく自然な流れの中で地元の同人誌に掲載された古い詩の作者を探す資料館館長の旅の道連れになっていました。それらは自分の仕事や収入には直接は関係のないことばかりです。
しかしその旅は、今まで経験したことのない本質的で根源的な興奮を私に与えてくれたのです。
「さて、退屈な老人の人生観はこのくらいにして本題に戻りましょう」奈美子さんが淹れてくれていたお茶を一口すすり、「佐伯さん、あなたは《聖月夜》の作者が留萌雅也という週刊誌記者だったと判明しただけで満足されていますか?」
と私に聞いてきました。
「まさか」私は即座に否定しました。
「では今度は留萌雅也を探す旅に同行してくださるのですね?」
「もちろんです。できれば留萌さん本人に、《星月夜》を書いたいきさつについて伺いたいとも思っていますよ」さらに光を増してきた浜村さんの目をまっすぐ見据え、私は力強く答えました。次の日から営業所での仕事が多忙を極めました。
私の本業です。
台風の日にゴルフ接待をした取引先から大口の仕事が入り、営業所の総力を結集して臨むプロジェクトが決まったのでした。
所長研修を終えて営業所に戻った刑部さん、そして田沼さんの後任・小出美夜子も加わって、月ノ石営業所はフレッシュな雰囲気に満ちています。田沼さんもこのプロジェクトが完了するまでは週に三日のペースで来てくれることになりました。