中学の頃の友人の実家が営んでいたリフォーム会社に見習いというかたちで就職した。この友人は、中学で番長的な生徒だった。

いつも俺は、子分のように使われていたが、まわりで直接会社を営んでいたのがこの友人の実家だけだったので頼ったのだ。

なぜリフォーム会社かというと、寮があって住居費と光熱費がタダだったからだ。

「高校のときみたいに、逃げて辞めることはできないんだぞ」

母さんの葬儀のときに、父さんが誰に言うともなしにつぶやいた言葉が、何度も頭に浮かんでは消えた。

こっちだって、好きで辞めてきたんじゃないんだ。言い返すことはできなかった。

将来、絶対に見返してやる、自信も裏づけもないけど、意地でそう思うしかなかった。

心のなかの杭につかまっていないと吹き飛ばされそうで、呪文のように「見返してやる、見返してやる」と、聞き取れないくらいの声で何度も何度も唱えていた。

俺の心のなかの杭とは、毎日朝から晩まで働いていた、目に焼きついて消えることのない、母さんの残像なのだ。

高校を中退した俺が会社で働くということは、楽なことではなかった。十六歳までバイトもしたことがなかったから、スーツなんてそれこそ七五三みたいだろうし、作業着があって助かった。

比較する対象の経験がないのでわからないが、ここの会社の先輩はなにも教えてくれない。

朝、出勤して机でぼうっとしていると、気がついたときには事務所に誰もいなくなっている。仕事の割りふりをしているときに、誰かに付いていかないと日当も、もらい損ねる。

仕事を覚えて一人前になりたいという気持ちだけはあったので、指示はされなくても職人のなかでもいちばん年配で偉そうに見えた人に、勝手に付いていくことに決めた。こうして、俺は毎日働いているという気分にだけはなったのだ。

リフォームの現場は、工事中も人が住んでいる住宅の、注文された箇所だけ直すものから、人が退去または死んでしまって主人のいなくなった家を、一軒すべて新築みたいにリノベーションするものまでさまざまだった。

自分で監督になにをしたらいいのか聞きにいかないと、ここでも仕事にあぶれてしまう。