作りながら遊びで文字を作ったりするところから、文字焼き、もんじ焼き、もんじゃ焼きとなったとカホのお母さんから聞いていたけれども、本当かどうかは分からない。

それでも鉄板の上で、小麦粉を水で溶かして、きゃべつやイカやいろいろな具を入れてかき混ぜてソースをかけて食べるのは僕たちの大好物で、駄菓子屋さんで食べるのが常だった。

大きくなってからも、もんじゃ焼きやお好み焼きを見るとついついどんなものか見てみたくなるし、食べてみたくなる。アメリカ人が小さい頃からコーラとハンバーガーを食べて育ったように、僕たちはもんじゃ焼きやお好み焼きとジュースで育ったのだ。

僕とマコト、ユーとカホは中学までは同じ学校だった。スカイツリーはまだその影もなく、ひっそりとした下町風情の街のままだった。

中学生になると僕は野球部、マコトは柔道部、ユーは囲碁将棋部、カホは特に学校のクラブには入らなかったけれども、それぞれが忙しくなって集まる機会がとても少なくなった。

僕が野球部に入ったのは、地元の近くの学校から王貞治という有名な野球選手が出ていたからだ。現役の頃は知らないけれど昔のビデオで見る王貞治は一人だけ際だって見えた。

打つときに一本足になって構えているのにびっくりしたのを覚えている。それまではユーと同じ囲碁将棋部に入っていたのだが、そのビデオを見て、即座にユーにクラブとの決別を宣言した。

「俺は王貞治になる」

ユーがそう言った僕の顔をまじまじと見て例の眼鏡をあげる仕草をしながら

「タッキー、多分無理だと思うぜ」と真顔で言われたのを覚えている。

それでも地元にこんな偉大な英雄がいるのだから、続かないわけにはいかないと思って、僕は決然と囲碁将棋部をやめて、野球部に入ったのだ。

少し歩いて、王貞治が野球をしていたという公園を見ては

「王さんもここにいたんだ」

とつぶやいては誓いをあらたにして練習に励んだ。