けれども、春彦との行為に対して何の感慨も持てない亜希子は、一体、何者なのだろうか。まかり間違えば、郁子を損ないかねない行為をしておきながら、そのことすら何ら心に響かない。こんな状態が、亜希子の理想であるはずもなかった。

きっと本来なら心も身体も、そこに流れる血の色は赤いはずなのだ。だというのに、いつから亜希子の心には、血肉の通った身体を持て余すように、青く冷たい血液が流れるようになってしまったのだろうか。

亜希子は物分かりの良さ故か、子どもらしく無邪気に快不快を訴える以前に、ひたすら手のかからない良い子を演じることを覚えてしまった。

多忙な父が帰宅するのは深夜に近く、母から保育園のお迎えを忘れられるのも、一度や二度ではなかった。そんなことが重なると、亜希子は自分一人が見知らぬどこかに、置き去りにされる夢を見るようになった。

そして就学にすら耐えない郁子にかかり切りになる両親は、学校生活を満喫している風の亜希子の様子にすっかり安心してか、亜希子の心が流す血の色にまでは気が付いていないようだった。

心に傷をつけるものの正体が誰もがそうだと認識できるほど、解りやすいものとは限らない。身近な人間によってこうして緩慢に付け続けられる傷も、時に長きに渡り人を苦しめる存在と成り得る。

周囲ばかりでなく当の本人ですら見過ごしてしまうそれに、気が付ける人がどれほどいることだろうか。中学二年の時に国立中から亜希子のクラスに編入してきた悟は、亜希子にとっては不思議な存在だった。

「何でいつも分かってくれるの?」

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