また、会話中、ワタナベ社長はブラウンリーさんの同僚についても話題に出し、「彼はいつリタイアするんだ?」と口にしました。その同僚はブラウンリーさんより一つ年上でした。
ブラウンリーさんは降格しましたが、不思議なことに給与や福利厚生については以前のままでした。
釈然としないままブラウンリーさんはその後も働き続けますが、8カ月が過ぎた1991年4月、再びワタナベ社長から2度目の降格を告げられます。最初の降格の時と同様、給与や福利厚生に変化はありませんでした。それどころか2カ月後には4%の昇給がありました。
首をかしげながらその後も働き続けたブラウンリーさんでしたが、さらに10カ月が経った翌1992年2月、ついに解雇を言い渡されます。ブラウンリーさんは61歳でした。
同じ日には62歳の同僚も解雇されました。ワタナベ社長が以前「彼はいつリタイアするんだ?」と聞いていた同僚でした。
ブラウンリーさんは1992年4月、マサチューセッツ州の反差別委員会(MCAD)に年齢差別を訴え、同年12月、米国カンザキを相手取って訴訟を起こしました。
ワタナベ社長の念頭にあったのは日本の定年制?
米国では、年齢による差別は禁止されており、定年制を敷くことも違法となります。
公民権法制定の3年後、1967年に成立したのが「雇用における年齢差別禁止法(The Age Discrimination in Employment Act of 1967)、以下、年齢差別法」です。
対象となるのは40歳以上の従業員で、年齢によって雇用が制限されたり、解雇されたり、賃金や昇格、昇給、労働条件で差別されてはならないと定められています。
ワタナベ社長は、ブラウンリーさんに、降格や解雇の理由が年齢であるとはっきり口に出したわけではありませんでした。しかし年齢差別を匂わせる言動は多く、裁判でもそこが焦点となりました。
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