第2章 「独立自尊」
払拭できなかった定年制のイメージ――「米国カンザキ年齢差別訴訟」
日系企業が巻き込まれた多くの雇用訴訟の中には、日本と米国の法律や慣行の違いを親会社で十分理解しないために思わぬ事態を招いたケースがあります。年齢差別の問題がその一つです。頭では理解しているつもりでも、感覚的にわからないのです。
J・G・ブラウンリー(Jacobs Gibb Brownlie)さんが、年齢差別を理由に、カンザキ・スペシャリティ・ペーパーズ(Kanzaki Specialty Papers、以下、米国カンザキ)を訴えたのが1992年12月のことです。
同社は、日本の神崎製紙が1986年末、米国のラドロー社からマサチューセッツ州の工場を買収して設立した米国法人でした。社長は日本から派遣されたワタナベ・カズヒコさんが務めていました。
以下が原告のブラウンリーさんの主張です。
ブラウンリーさんはラドロー社で働いていましたが、56歳の時に工場が買収されたため、米国カンザキの従業員として働き続けることになりました。
その後も2年半、マーケティングサービス・広報部長として、広告、販売促進、広報、製品管理などを担当し、59歳の時に、セールス&マーケティング担当副社長に昇格しました。
昇格を認めたのがワタナベ社長です。ワタナベ社長はブラウンリーさんの手腕を買っていたようです。ブラウンリーさんの年収は4万6000ドル(598万円)から7万1000ドル(923万円)へと大幅に上がりました。
また、ブラウンリーさんはセールス関係のいくつかの部門も統括することになり、20名を超える部下を持つことになりました。
ところが翌1990年8月、ブラウンリーさんが60歳になるとワタナベ社長の態度は一変します。ブラウンリーさんを呼びつけるとワタナベ社長は「君はよくやってくれているが、もっと若い人がいいな……」と降格を告げたのです。
ブラウンリーさんの仕事は49歳のハムレット・コリーナさんが引き継ぐことになりました。ブラウンリーさんは、ワタナベ社長に「仕事がうまくいかないから降格されるのか」と聞きましたが、ワタナベ社長は「いや、そうではない。あなたの手に負えない理由です」と答えました。