塵芥仙人ごみせんにん

堅実主義であるこの家の主が、あのように奢侈(しゃし)極まりないプレゼントをした背景には、何やら大層な思惑があったに違いないのである。それを汲んでいたからこそ、夫人はこの度のレセプションに、その時計を腕に巻いて赴かなくてはならなかった。

とんだおのれの不注意のために一時ごたごたはしたものの、結局、すんでのところで大事に至らずに済んだのであるから、運が良かったとしか言いようがない。有三はそんな運が心底欲しかった。

そして今、有三は失せ物を取り戻す大願が成就した張本人から、失態を演じた後、朗報が届くまでの経緯を聞き出すことで頭が一杯であった。それは、ゴミ仙人なる者の関与がどうであれ、奇跡が起こったその幸運に肖(あやか)りたい一心であったからかもしれない。

奇跡などというものは、自分の思ったようにやすやすと起こり得るものではない。しかし、そのようには承知していても、今は何かにすがらずにはいられない。最悪何も起こらなかったとしても、それはそれで仕方がないことである。

そうなれば、素直に諦めればいいことだから。その時は、正直に事を公に晒して、裁きを受けるしかないだろう。有三はそのようないささか投げやりにも似た一種の潔さに支配されていた。

頑丈そうでゆったりとした革張りのソファーに腰を沈め、夫人と向き合った。彼女の見目形、それは噂通りの美しさであった。