第一章 嫁姑奮戦記

「自分が一番偉いと思っていたおばあちゃんが、そうかいなと思っただけでもいいと思うけど」と言うと、「うちは強い人間やと思ってた。弱かったら生きていかれへんやろ。自分の思う通りにやってきた。人の言うこと聞いてたらつまらん生活せなあかんやろ。そやから頑張ったんや」

「頑張ったのは分かるけど、助けてくれる人が周りに居たから頑張れたんと違うの」

「誰が助けてくれるんな。そんなもん居らへんかった」

「そやけど、おばあちゃんのお母さんが家の用事をしてくれたんと違うの。おばあちゃんが皆やったんか」

「そら、家のことは皆やってくれたけど」

「それごらん。何もかも一人でやってると思ってても誰かが助けてくれてるんよ」

「そやけど、神さんや仏さんは何をしてくれたんや」

「そら目には見えへんけど、色々助けてもらってると思うよ。私はおばあちゃんと違って弱い人間やから、神仏や人に助けを求めるほうやわ。聖書に『全て重荷を背負っている人よ私の元に来なさい。楽にしてあげます』という言葉があるけど、人間は弱いもんやと私は思う」と言う。

そんな話をしているうちに夜も白々と明け、姑はいつの間にか眠っている。私も横になるが寝つけず、またもや徹夜してしまった。

当日は意外と平静であった。妄想がなくなって良かった。入浴させて午前中に帰宅する。

「やっぱり家はいいわあ」と本当に嬉しそうだ。全く以前と変わりない。ただ脚が不自由で畳に座れないくらいのものだ。ベッドがまだ届いていないのでテーブルと椅子で過ごしてもらう。夜は私が横に寝たものの、介助するのは布団から起き上がる時と、トイレに連れて行くくらいで、病院での生活からは考えられない平穏な外泊であった。

近所の方々も早速様子を見に来てくださり、姑も家に帰った実感を味わったことだろう。

外泊二日も無事終わり、翌朝病院に帰るとなると、ふらつくからもう行けへん。このまま家に居るわと言う。約束やからと説得して、娘と二人で連れて行く。ふらつきの原因は薬の副作用かと心配したが、今までそのようなことはなかったことから、病院に戻りたくないという気持ちからきたものかもしれない。

先生や看護婦さんから様子を聞かれる。以前の姑に戻って錯乱も全くなく穏やかに 過ごしたと報告するとびっくりされ、一日も早く退院されたほうが良いかもしれませ んね、と言われる。 午後の部長回診で二日後に退院と具体的に決まる。

「おばあちゃん、良かったね、明後日退院だって」と言うと「そう」と気のない返事。かえって不気味だ。食後睡眠薬を飲ませると早くから寝る。このまま寝てくれたらとの願いも空しく十一時にけろっと起き、例のごとく動き回る。

布団をたたんでは広げ、広げてはたたみ、揚句は下に落とす。お尻の下のバスタオルを引っ張り下に投げ捨てる。お決まりのパターンを今日もやる。眠りそうもないので車椅子に乗せロビーに連れて行き夜景を見せる。あたりはしんと静まりかえっている。

時折、夜勤の看護婦さんが病室に急ぎ、帰りに足を止めて、「お薬飲んだのに、今日もまた眠らないの」と声をかけて行かれる。

「八時頃から三時間ほどは寝てくれたんですけど」と言うと、「大変ですね。また徹夜かな」と気の毒そうに言われる。

しばらく通天閣のイルミネーション等を見ていたが、もう帰るわと言うので病室に連れて帰る。姑が鼾をかき始めた頃には夜も白々と明けかけていた。

何かある都度、 姑は夜明けと共に眠り、私は一人トランプをするのだ。 翌日は明日退院ということで、内科、精神科の診察がある。胃のほうはまだ治っていないしピロリ菌が住みついているので、薬の服用は当分続け、時期をみて抗生物質を投与することも考えているということだった。

精神科のほうは帰宅しても不眠が続くようであればとお薬をくださる。整形外科で は先にレントゲンを撮って順調にいっていると診断をいただいているので、その日の 診察はなかった。 家で使用するシャワーベンチ、手押し車が来たので家に配達してもらう。 家のほうは、舅の時夫が付けた手すりがあちこちそのままにしてあったし、必要と思われる分は新たに付けてくれ、まずは万全のようだ。