奥会津の人魚姫

(4)

「そうですね…………。ただ、もともとどちらの指紋が乙音さんか汐里さんか、最初の出だしからわからないのでは?」

田辺の返事は、責任回避の煮え切らないもののようにも聞こえるが、よく考えれば確かにそれにも一理あった。

乙音も汐里も自分の部屋を持っていたから、そこから指紋を採取して、今の乙音の指紋と照合する方法も考えられたが、乙音と汐里の関係性を考えれば、おそらくどちらの部屋からも、二人の指紋は数多く検出されるに違いない。

田辺からの実質的なゼロ回答に、鍛冶内は少なからず落胆させられたが、いずれにしてもこの件に関して、警察はそもそも事件性を認めていないのだから、この局面ではこれ以上のことは諦めざるを得なかった。

今さら8ヶ月も経って動いてくれというほうが、所詮無茶な話なのだ。仮にそうしてほしければ、何かの物証が必要になってくると思われるが、その可能性は今のところゼロである。

「なぁ千景、仕事の都合上、俺は明日帰らねばならないが、近いうちにまた来るよ」

2日ぶりに夕食の席で酒を酌み交わしながら、鍛冶内が言った。千景はいかにも済まなそうに頭を垂れて、感謝の言葉を口にした。

「ところでな、千景。お前、汐里が誰かと付き合ってたらしいという話を聞いたことはあるか?」

すると千景は意外なほどあっけない口調で「ああ」と言った。

「えっ、汐里はやっぱり誰かと付き合っていたのか?」

「よほど前の、あの子たちが高校に入って少し経ってくらいの時だったが、一度姿を見たことがある。俺と乙音が休日に会津若松のスーパーに出掛けた時、通りかかった公園に、偶然汐里とその男がいた。

乙音に誰だと聞いたら、汐里の彼氏だと教えてくれた。名前は ……なんと言ったか忘れてしまったよ。髪の毛を立てて、崩れた制服を着てた。いかにも汐里が付き合いそうな、不良じみた見てくれのやつだった」

「その時から汐里が亡くなるまでおおよそ3年ほどか。はたして、亡くなるまで汐里はその男と付き合っていたんだろうか?」

「わからない……。でも汐里が持ち歩いてる鍵の付いてるキーホルダーに、牡牛座の柄があしらわれているのは知っていた。あいつら二人とも双子座だから、誰か特別な相手でもいるのかなとは思っていた。ただそれが、俺の見た男のやつかはわからない」

キーホルダーについては、印刷所の由紀ちゃんも同じことを言っていたのを鍛冶内は思い出した。