第二章 カナダ赴任
シュガーはインディアンとも仲が良く、インディアンしか採ることを許されていないコブカズを分けてもらったことがある。コブカズはニシンが昆布に卵を産み付けたものだ。
これは、インディアンにとってはとても貴重な食料で、珍しいのでその頃はまだ日本ではほとんど知られていなかった。昆布の両面に一センチメートル厚さ程の卵が付いたコブカズをインディアンは乾燥させて一年中食べている。
シュガーは生のコブカズを塩漬けにして冷凍保存していた。まず室温に戻して塩抜きし、適当な大きさの短冊に切り、醤油・みりん・酒・かつお節に漬けこんで食べた。日系カナダ人のお正月料理には欠かせない一品だ。
ニシンは肥料や油としてのみ利用されていたが、終戦後ニシンの卵である「数の子」を塩漬けにして日本へ輸出するようになると、ニシンの漁獲量は減っていて少なかったが、数の子のお蔭で売上高は大きく伸びていった。数の子を正月の特別料理として食べるのは日本人だけかもしれない。
カナダでは、いっぺんに獲れるニシンの頭と内臓を取り除いて、卵は数の子として塩漬け保存し、身は樽に塩漬けして各家が一年中保存しているのでよく頂いた。塩抜きして三枚に下ろし、甘酢で漬けたお寿司は絶品であった。
ただし、調理法に気を付けないとひどい目に遭う。紗季は一度あたって嘔吐と下痢に苦しみ、晃司を起こして夜中に救急外来に連れて行ってもらった。腕に発疹が出て蕁麻疹だと言われた。
ニシンの腹側の黒い部分を綺麗に取り除いて料理すれば大丈夫と聞いて、懲りずにまたお寿司を作って食べた。それほど美味しいのだ。
とにかく彼らはよく働き、魚がたくさん獲れた時に保存食を作り、様々な工夫をして長い冬の間でも食べられるように準備していた。
指宿出身の髙﨑幸則夫婦にもお世話になった。幸則は漁師をしながら大工仕事も得意な人で、船を十隻も造った経験があった。彼の造る船はいつも工夫を重ね、新しいエンジンを取り入れた最新式なので、二、三年乗るとすぐに誰かが欲しがり売れるそうだ。
彼にカセットテープやビデオテープを入れるラックを作ってくれと設計図を描いて頼んだら、それはしっかりした立派なものを図面通り完璧に作ってくれた。今でも鹿児島の自宅で大事に使って重宝している。
お正月に遊びにおいでと誘われて行ってみると、大量に作られた正月料理を次々に訪れるお客さんたちにふるまい、広いリビングや食卓に大勢の人が集まっていた。