中学校の不登校対応

4月、タカシくんは不登校のままで中学校の入学式を迎えました。

この中学校はふたつの小学校からなる組合立の学校で生徒数300人余、学級数は全学年15クラスの小規模校です。タカシくんの学年は3クラス80人余でひとつのクラスが28人ほどです。クラス員の半数が顔見知りで、半数が初顔です。

校長は学校現場から教育委員会、そして校長へと出世の階段を駆け上がった50歳ほどの評判の人物で、かつては学級崩壊や校内暴力をくぐり抜けてきた将来を嘱望される若手リーダーです。

4月の新学期、校長はタカシくんの母親に向かって、「命にかかわる大事や学校の不祥事に対しては、すべてを受け入れる覚悟で校長職を拝命しました。いじめや暴力問題は職員一丸となって組織で対応し、タカシくんの件は誠心誠意に努力します」と約束しました。

母親は、「もう頼るところは先生しかいません。助けてください」と涙声で何度も頭を下げました。

タカシくんの新しい担任は30歳代の女性教員で、生徒からは「とても面倒見がよく、生徒の話は最後まできちんと聞いてくれる」などと人気の先生です。

担任は手始めにクラス員に対して自己紹介とタカシくんを励ますメッセージカードの制作を指導し、自身は毎日のように家庭訪問を繰り返しては、タカシくんにクラスや授業の様子を伝えました。

学校での保護者面談は、学年主任や生徒指導主事、相談員やスクールカウンセラー、ソーシャルワーカーなども加わり、組織対応をアピールしました。

こうした対応にタカシくんは担任の訪問に耳を傾け、懐かしそうに友だちからのメッセージカードを読んでいましたが、どうしたわけか、しだいに担任を避けるようになり、メッセージカードもどこか机の奥にしまってしまいました。

1学期が過ぎても、タカシくんは不登校のままでした。業を煮やしたのでしょうか、校長は突然に「県下には不登校の子どもが通う専門の学校もあります。フリースクールという考え方もあります」とタカシくんに転校を打診しました。

校長としてはよかれと思っての提案だったかもしれませんが、タカシくんにとっても家族にとっても青天の霹靂(へきれき)でした。町に中学校はひとつしかなく、転校するならほかの町の中学校に通わねばなりません。時間も交通費もバカになりません。

タカシくんは、「ぼくは友だちのいる今の学校がいい。知らない学校には絶対に行きたくない。ぼくは学校に見捨てられた」と狂ったように泣き叫びました。

タカシくんの不登校が3年目になると、教育委員会はやっと重い腰を上げ、タカシくんの事案を「いじめの重大事態」と認め、弁護士や県子どもセンター所長、元校長らからなる第三者委員会を立ち上げ、調査をはじめました。

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