はじめに ―校長へのある疑念―
謝罪の会
母親は学校や教育委員会に対し、「いじめの重大事態にあたるのではないか」と何度も詳しい調査を懇願しましたが、「いま学校がいろいろと対応している。少し待つように」とにべもなく追い返されました。
しばらくすると担任からタカシくんの家庭に、「学校で謝罪の会を持ちますから、タカシくんとご両親はかならず参加してください」と電話が入りました。
謝罪の会にはタカシくんの両親、Aくんとかれの母親、学級担任と教頭が参加しましたが、タカシくんはどうしても精神的に落ち着かず欠席しました。
Aくんは大人たちの前で、「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣きながら謝り、もう二度と叩いたりしないと約束しました。
Aくんの母親は、「息子はタカシくんと仲良くしたかったけれど、タカシくんに相手にされず、ついカッとなって叩いてしまったと話しています。けっして悪気があったわけではありません」と庇(かば)いました。
学校はこれで一件落着と安堵しましたがほんのつかの間で、タカシくんは家からも一歩も外出できなくなりました。それだけではありません。
謝罪の会に対して、Aくんの父親から「大人のなかに、子ども一人だけ入れて謝罪させるとは何事か」と学校に抗議まで来る始末です。
先生のいじめ認識
6年生に進級してもタカシくんの不登校は続き、生活は昼夜逆転しました。タカシくんはカーテンを閉め切った暗い部屋の中で一日を過ごすようになり、食事も不規則で真夜中になると大声で泣き叫び、壁を傷つけたり、大切な置物を壊したりしました。
家族は、奈落の底に突き落とされました。タカシくんの祖父母が駆けつけ、母親といっしょに小児科や児童相談所、家庭支援センターなどと駆けずり回りましたが、状況は何ひとつ好転しませんでした。
不登校の原因を校長は「こころの風邪」といい、教育委員会はタカシくんの繊細な性格と結論しました。タカシくんは、不登校のままで卒業式を迎えました。
その日、校長はタカシくんの両親に、「タカシくんが、中学校生活に安心して通学できるように私たちも見守りたいと思います。また、現在も大切にしてきている、『早期対応』『丁寧な対応』ができるように全職員一丸となって取り組む所存です」と綴った手紙を渡しました。
翌年、タカシくんは町の中学校に進学し、校長は同町の教育長に栄転しました。