ぼくは自分でも否定しがちだった人生を、竹島から真っ向否定された気がして、彼を内心憎んだ。どうせなら本当に死んでほしかった……。いや、そんなことさすがに思ったらいけない……。ぼくはもやもや状態になり、また三島彩でオナニーしてしまった……』

やがて電車で通える私立大学に通い出したはいいが、受験から解放されればそんな人生への懐疑から解放されると思いきや、むしろ進学という目標を失ったことと、大学生活にうまくなじめなかったこと、そして尾を引く竹島の自殺未遂により、私の懐疑は深まってしまったのである。

私はすっかりやる気を失った。それは勉学や将来に対するやる気であり、そのやる気を遊びの方に差し向けることもできず、悶々(もんもん)とし、鬱々(うつうつ)としていた。

けれども私は老いていたわけではないから、やる気を消滅させられれば楽なのに、それができず、コンパに夢中になるのと同じ若い情熱で、否定のベクトルにやる気を乗せ、その矢で自分や人生、人間や社会を突き刺す行為を開始したのだ。

触れれば火傷しそうな烈しい言葉で、思想で。その苦闘の生活、精神のありようが、日記にはくどくどと記されていた。日記にでも吐き出さなければ、発狂し、爆発してしまいかねなかったのだろう。

引越しの荷造り作業の手を止め、過去の日記に読みふけっていた私は、オレはなにやってんだ!とか、コイツなに考えてんだ!という感想を、大人として持たないわけにはいかなかった。

それほど馬鹿げた情けない日々を、実際私は送っていたのだ。あの頃からすると、私は変わった。普通の大人になることができた。変わってよかったとつくづく思わずにはいられない。人は変われる、変わることができる。

その好実例として、人生に悩む人に自分を紹介したいくらいだ。その一方で、オレはあの頃、真剣に生きていたなあ、という感慨を漏らさずにはいられなかったのである。

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