人生の切り売り

二 再開

「むしろ小説にはおあつらえ向きの話じゃないかな?」

また絶妙なタイミングで悪魔の微笑みが魅惑する。どうしてこんなイケメンが、私のベッドに胡坐(あぐら)をかいているのだろう。

「書こうと思ったことはないの?」

「……この件に関しては、ある」

けれどもみらいが読んだらと思うと、なかなか筆が進まなかった。

「私にとって妹は最初の読者なんだよね。今でもたまに感想をくれるから、あの子が傷つくようなものは書きたくなくて」

おそらく彼女は、あの日のことを覚えてない。私が頑なに露出を嫌がる理由も分かっていないような気がする。それなのにいきなり過去を引っ張り出したら、ショックを受けるんじゃないだろうか。

「妹を守った名誉の負傷に後悔はない。でも―」

可愛くて素直で苦労せずに育ったみらいを見ていると、ちょっと複雑な気分になる。この傷をネタにするのであれば、妹と比較して卑屈になっている自分の性格の悪さをもろに描いていくことにもなるだろう。だから躊躇してしまうのだ。

「小説書いてる時点でひねてる自覚はあるけど、それを家族に見せるとなると急にハードルが高くなるんだよね」

「でも書きたいんだろう?」

「へ?」

不意に、悪魔が私の身体を引き寄せた。

前身ごろがはだけたシャツにその手を忍ばせ、再び直に左肩に触れる。いつもは冷たい彼の手がこの時ばかりは温かく感じた。

「君がわざわざ『人生を売りたい』と言い出したのは、そういう書きたいのになかなか書けないネタが念頭にあったからじゃないかな?」   

「……そう、なのかな」

悪魔の言葉に乗せられて、そうではないかという気になってくる。

「僕がついてるんだから、今まで書けずにいたネタも突き返されて書くことを諦めたネタも、心置きなく書けばいいよ」

耳元でささやく声はいつにも増して、甘い。

「もし書けないのなら―」

しかし次の瞬間、私は自然と悪魔を突き放し、静かにボタンを掛け直していた。

「それはだからいいんだって」

「うん?」

「全部私が書くんだから」

「……君も強情だね」

くすりと彼がこぼした笑顔は、こちらを手玉に取る時とは違う、なんともキュートなものだった。

それから私はとり憑かれたように小説を書き始めた。といっても、スイッチが入るとだいたいそうなのだ。躊躇(ためら)うどころか踏み込みすぎた気がしてならないが、ここで立ち止まったら終わりだと即座に藤島希枝に送りつける。

姉妹関係をドロドロと描いたその小説は、悪魔の力としか思えない速さで売れていった。