……が、これは鎌倉時代も後期の十四世紀のこと。曽我兄弟が生きていた平安末期から鎌倉初期にかけては、まだまだトイレなんて存在しなかった。

ではどうしていたのかというと――耳と鼻をふさぎたくなるサイアクな方法。何と彼らは、屋敷の裏手に回って、そこで用を足していた。「ここはトイレスペース」という場所を何となく決めていて、男も女も平気で壁に向かってやっていたそうだ。

少し想像すればお分かりだろうが、平らな地面で用を足すと、履いている草履が糞尿で汚れてしまう。これはさすがにイヤだったので、この「トイレスペース」には、皆が共有で使う下駄が用意してあった。

今でいうトイレスリッパである。ただしこの下駄、着物の裾などが汚れないように、かなり高さのある下駄だったらしい。これを履いて座り込むのは、姿勢がかなりきつそうだ。

あと他には、川岸に立ってダイレクトに用を足す。ちょっと上級な武士だと、屋敷に水路を引いていたから、この水路を水洗便所にしていたところもあった。「トイレ」が「厠(かわや)」と呼ばれていたのは、これが語源である。

さて、ここまでも多少ショックな話題であったが、一番衝撃なのは用を足した後。

いったい彼らはどうやって尻を拭いていたかというと、実は直に手で拭いていた。葉っぱ、板、縄、その辺の砂などを利用することもあったようだが、一番メジャーだったのは手である。

手で拭いた後、さすがにそのままというわけにはいかないので、その辺に用意してある甕(かめ)の水で洗う。「お手水」の語源は、実はここからきているのだ。あまりにも清潔に慣れた現代人には、耳を疑う内容である。

以上、当時の住宅事情を大雑把に説明した。

わたしはどうも、ドラマなどで昔の人が、武士、百姓に至るまで、どう見ても新品ピカピカの衣装を着て、ご丁寧に現代メイクまでして、新築のお屋敷に住んでいるのを見ると「嘘ばっかり……」と思ってしまう。

別に当時を忠実に再現しろとは言わないけれど、もうちょっと薄汚れて、リアリティーを持たせてもいいのじゃなかろうか?

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