そんなふうにあれこれ雑念が湧いては消える中、周辺環境も自己も意識せず、自分の声「ギャーティ!」でハッと参拝している事に気付くというのもしょっちゅうでした。
それはさておき、参拝は自分なりのへんろとしての願意・目的等の自覚を大切にして行いましょう。それは、仏の教えに生きる事であり、「仏心一如」仏の様に生きる事です。
ここで注意すべきは、御本尊の仏像は釈尊の悟りを表現する象徴的存在であり、崇拝する対象目的としないという点。あくまで寺に参じて仏を拝観するのが参拝であり、それは心に仏を感じ、仏と一体化する意識を持って自分の心を見つめる行為なのです。
境内での歩き方は右回り(時計回り)にしましょう。このならわしは、仏陀の足の裏の紋、頭髪が右巻きである事に由来するそうです。
本当のところは定かではありませんが、一つのマナーと考えて下さい。多人数参拝時には混乱しない様に、自他参拝の姿を客観的に意識する事が大事です。
自他同等に心の中が見えてくる様になると、十人十色(個性)が理解できて、他の参拝者に対して偏見を持たなくなります。参拝の際に最も重要なのは、目的意識を大切にする事で、弘法大師の足跡をたどる同行二人、非日常的側面を持つ旅の背景を忘れない様にします。
生きていく上で、さしさわる事柄である「厄」の解決――その方便として、心の中の仏に目覚める縁となる参拝をして下さい。
常に学び、修行の意識を持つ様にし、とりわけ、お経の読誦参拝は仏の教えを心で感じる一つの手段。写経・写仏・仏像を拝するのも全て同じです。
参拝時のお経等
参拝時に読誦するのは、開経偈(かいきょうげ)、懺悔文(ざんげもん)、三帰依文(さんきえもん)、十善戒、般若心経、本尊真言、光明真言、弘法大師真言、回向文(えこうもん)等です。ここでは、このうち般若心経(第五章に詳しく書いています)と本尊真言(第三章に各札寺ごとにまとめています)以外のお経について、簡単にご説明します。
*開経偈
これによって、参拝目的の意思表示をします。
「無上甚深 微妙法 百千萬劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実(にょらいしんじつ)」
願意は、仏の説く最高の真理は般若心経だとする立場での参拝をしますという事で、「仏の説かれた般若心経、微妙法の真理が理解できます様に!」という意思表示です。
【前回の記事を読む】するも受けるも同じ事の「反転の徳」でへんろに対するお接待の三徳は断らない