三 へんろ旅に当たっての心構え
参拝についての心の位置
そこで、同行二人、お大師様、弘法大師、そして諸仏を方便的に心中に出現させます。心中に出現させた象徴的存在と、自己との融合化の努力で願意成就の足掛かりとする考え方です。
その過程では、生命が存在する事で生じる一切の苦楽に、どの様に対処するのが一番良いのかとの考えが中心になります。この答えを求めて、へんろは始まります。
願意 十人十色 ~お寺で参拝の願意は色々~
世界平和 先祖供養 海上安全 心願成就
天下泰平 家内安全 交通安全 病気平癒
五穀豊穣 子孫繫栄 道中安全
事業繫栄 悪病退散 身体健全
商売繫盛 報恩謝徳 無病息災
求児安産 悪難消滅 息災延命
家運隆昌 厄除祈願 技芸成満
発育増進 福徳自在 学業向上
子宝天授 除災招福 受験合格
安産 良縁成就 入試合格
水子供養 金運向上
人それぞれの願意があります(納め札に記入)
宗派 十人十色 ~基本は真言、でもやっぱり色々~真言密教……空海
律宗……鑑真
華厳宗……審祥
法相宗……玄奘
天台宗……最澄
日蓮宗……日蓮
浄土宗……法然
浄土真宗……親鸞
融通念仏宗……良忍
時宗……一遍
曹洞宗……道元黄檗宗……隠元
四 参拝の形とお経、供物等について
参拝の手順と心構え
~仁王門 智慧の居場所の しるべなり~
四国へんろ88カ寺の参拝時の心得については、①山門に入る、②一礼合掌から始まり、③山門を出る、④一礼合掌で終わる、という手順が一般的で私も基本的にこの流れで行っています。
具体的には、山門を入って境内参拝。手水所から鐘楼、本堂、大師堂、そして諸堂等という順序で、納経所では朱印帳・掛け軸朱印等をお願いします。
参拝の際の合掌は、乱れのない心の方向性の表現する行為であり、同時に「南無」と唱えるのは心の自覚位置(0=原点)から、自己の心が持つ一定方向への目的意識が生じるという事だと考えます。
参拝時には、般若心経を心中写経読経、すなわち一文字ずつ心の中で写しながら、自分の読誦(どくじゅ)の声を聞きながら、その意味をぼんやり考えながら……でも、心中雑念でいっぱいというのが、私の場合はいつもの事。
仏心一如(いちにょ)とは自我の昇華なのかな?
客観性を持つもう一人の自己には、広く大きな自由な心が生じるのかな?
我がへんろ旅は非日常(現実逃避・変化願望)なのかな?
それとも、未知や完全とは?の解を求める宗教的欲求なのかな?
参拝の時に口に出している言葉、十善戒(じゅうぜんかい)等を本気で意識して、守ってへんろをしているのかな?
参拝自体がマンネリ化して、習慣化の行為になっていないかな?